言わ ず も が な 意味。 「言わぬが花」とは?意味や対義語・類語を解説!

「言わずもがな」の正しい使い方…意味のカン違い率高し!

言わ ず も が な 意味

A ベストアンサー 京ことばにも似たような表現がありますよ。 <以下、参照サイトからの抜粋> 他の西日本方言同様、不可能を表す表現として「読めん・書けん・見られん」のような「動詞の可能形の否定」によるものと、「よう読まん・よう書かん・よう見ん」のような「副詞『よう』+動詞の否定」によるものとの2種類の言い方があります。 これらは互いに意味が少し異なるので、どちらを使ってもいいというわけではありません。 たとえば、「読めん・読めへん」といえば「電気が暗うて読めへん」とか「眼鏡があらへんし読めへん」というように「状況による不可能」を表しますが、「よう読まん」といえば、「こんな難しい字、よう読まん」というように、「能力的不可能」や「そういう気になれない」という意味での「不可能」をあらわします。 例: 「そんなことよう言わんわ」 …… 言う気になれない、という意味。 「そんなこと言えへんわ」 …… そんなこと言えるような状況じゃない、と言う意味。 なお、この二つの表現がごっちゃになった「よう読めん」「ようできん」というような言い方が聞かれることもありますが、これは誤用です。 aurora. dti. html 京ことばにも似たような表現がありますよ。 <以下、参照サイトからの抜粋> 他の西日本方言同様、不可能を表す表現として「読めん・書けん・見られん」のような「動詞の可能形の否定」によるものと、「よう読まん・よう書かん・よう見ん」のような「副詞『よう』+動詞の否定」によるものとの2種類の言い方があります。 これらは互いに意味が少し異なるので、どちらを使ってもいいというわけではありません。 たとえば、「読めん・読めへん」といえば「電気が暗うて読めへん」とか「眼鏡があらへん... A ベストアンサー 「~はる」という表現方法は大阪、京都でともに敬意を表す尊敬表現として使われているようです。 ただ、両者の間には使用法における若干のニュアンスの違いのようなものがあるようです。 大阪では「~はる」は基本的に尊敬表現であり、相手への敬意を示す最も一般的な言い方です。 一方、京都でも「~はる」は基本的に尊敬表現ではありますが、その使われ方が大阪に比べるとやや複雑なようです。 京都で最も敬意の程度が高いとされている表現方法は、現実に日常生活の中で使うか使わないかは別としても、「おいでやす」、「おくれやす」などに見られる「お~やす」で、これは純粋に相手への敬意を表した尊敬表現です。 「~はる」は「お~やす」に比べると敬意度が低く、また、京都では自分の側、つまり自分の身内に対して「~はる」を付ける言い方も存在し、この場合はその身内に対して敬意を表していると言うよりも、話し手が聞き手に対して自分とその身内との親密さ、親近感を伝えている表現という方が適切なようです。 ただ、話している本人としてはあまりそういったことを意識せずに使っている場合が多いようです。 また、tawdaさんがおっしゃっているように第3者に関することを話し手が聞き手に意見を求めているような場合に使われる「~はる」は、やや皮肉混じりの意味合いで使われることが多いようです。 また、人間以外の物や動物などに使われることもあり、その場合も話し手が聞き手に対してその物への愛着を示したり、あるいは意見を求める、その物への注意を促す時などに使われるようです。 このことは恐らく大阪と京都が歩んできたそれぞれの歴史や文化の成立過程の差で現れてきた違いだろうと思います。 大阪と京都のことばに共通していることは、相手に対する「気配り」の表現方法が豊富であり、全体的にYES、NOをはっきりさせるような言い方を好まず、曖昧にぼかしたり、単刀直入に表現することを避けたりして、相手を傷つけないでおこうとする柔らかさがあります。 その一方、ことばの中に多くの意味が含まれていて、後でゆっくりじんわりとこたえてくるというところがあります。 肝心なところをぼかしながらも、実は事の本質をついているのです。 大阪のことばは歴史的、文化的に商人気質の色が強い庶民的な言葉なので、相手に細かく対応して、相手の機嫌を損ねないように微妙に使い分けをしながらも、相手に対して分かりやすいことばが好まれてきたために、「~はる」の使い方もほぼ尊敬表現の一本で通されているものと思われます。 一方、京都では一口に京都のことばと言っても、もともと御所ことばと町方ことばの差別化があり、また町方ことばも室町商家のことば、西陣の職人ことば、祇園花街のことばなどの複雑な区別があったため、「~はる」の使い方も大阪に比べるとより複雑な人間関係の中で多様性を持つに至ったと思われます。 「~はる」という表現方法は大阪、京都でともに敬意を表す尊敬表現として使われているようです。 ただ、両者の間には使用法における若干のニュアンスの違いのようなものがあるようです。 大阪では「~はる」は基本的に尊敬表現であり、相手への敬意を示す最も一般的な言い方です。 一方、京都でも「~はる」は基本的に尊敬表現ではありますが、その使われ方が大阪に比べるとやや複雑なようです。 京都で最も敬意の程度が高いとされている表現方法は、現実に日常生活の中で使うか使わないかは別としても、「... A ベストアンサー そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。 国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。 私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。 情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。 ・漢字の学習の底が浅く安易になった、即ち本来の意味に注意を払わない。 原意:古代に枝や縄の結節で数字を示した方法の延長が現在の字形。 九が数の窮まった値として縁起よく、重視されてきた。 【充】:満ちる、満たす、余すところなく、担当する、埋める。 【分】:実は、発音も意味も一意でないのです。 【十分】の発音はshi2fen1 【分】fen1の意味は 部分、分割したもの など。 【十分】の発音はchong1fen4 【分】fen4の意味は 成分、本分、職責 など。 さて、お尋ねのこと「私はじゅうぶん満足した」はどう書くか。 ・単純に量的に満たされたならば【十分】。 ・心または腹が充足感を以って(徐々に内部から)満たされた場合は【充分】。 としたいところです。 【充】については以下の用法で感覚をつかんで下さい。 充電・充填・充足・充実・充溢・充血・充ちる(潮が、悪意に、月が、刑期がetc) ついでに、 「十分ご説明をいただいて、充分満足いたしました」のごとき用法も。 いまや、【十分】【充分】を使い分けるか否かは個人の好みです、読む人の感性に合わなければそれまでのこと、自己満足の域を出ません。 いずれにせよ、公式文書や事務的文書では、好悪を捨てて、国語辞典を標準とするに越したことはありません。 そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。 国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。 私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。 情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。 A ベストアンサー めどはやまと言葉ではないでしょうか。 もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。 広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく 不親切です。 朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。 解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、 ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。 目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です) A ベストアンサー 煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。 しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。 「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。 「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。 また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。 煩悩とは、わずらわしく、悩みになることだ、ということになります。 しかし、そんなに煩わしく悩む、困ったことなのかというと、日常の用法では、ちょっとニュアンスが違います。 ここは、仏教のお坊様に出てもらって、具体的な使い方の説明をしましょう。 仏教では、覚りを開くため、修行する人が、元々「坊様」だった訳です。 従って、元の仏教の「戒め」では、修行者は、例えば女性となれなれしく口をきいてはならないとか、女性の姿もまともに見てはならないなどとなっていました。 女性の美しさなどは、「迷い」の元だというのです。 しかし、坊様がすべてそうではないでしょうが、すけべな坊様もいる訳で、道で通りがかりの、和服の美人を見て、ほわ、と口を開けて見とれ、なんちゅう、綺麗なべっぴんさんや、いや目の毒じゃ、これも「煩悩、煩悩」などと云いながら、女性の後ろ姿を見送ったりします。 別に和服でなく、洋装でも構わないのです。 また、坊様も、そんな女を見るとすぐ見とれるような人は珍しいでしょうが、やはり、坊様も男ですから、美人と道ですれ違うと、ふと、心が動くこともあるのです。 あるいは、仏教では、イスラム教と同様、精神の安定や、日常の心の状態を興奮させたり、おかしくする飲み物などは禁じています。 例えば、麻薬などは無論駄目ですし、煙草やお酒も駄目なはずです。 しかし、日本の坊様は、何時頃からか、「般若湯(はんにゃとう)」と称して、酒を店で買って飲んでいたりします。 坊様が、良い酒を味わいながら飲みつつ、何という味わい、この酔い心地、さすがに銘酒は違う。 極楽じゃ。 しかし、考えてみれば、これも「煩悩、煩悩……仏様よ、お許しあれ、南無阿弥陀仏、いやもう一杯、何ともうまい」などと云っていると、どこが、煩い、悩みの煩悩か分からないでしょう。 また仏教では、生き物のいのちを大切にせよと教え、殺生を禁じ、従って、動物の肉は無論、鳥の肉も、魚も食べてはならないことになっているのですが、それも何のことかです。 酒のさかなに、コイのあらいを食べつつ、いい気分になって来て、坊様が、いや、浮き世もまた楽しいぞよ、酒はうまいし、ねえちゃんは綺麗だ……などと歌っていると、「生臭坊主」ということになるのですが、以上は極端に戯画化しているので、日本では、昔から、坊様が、妻帯し、子供がおり、酒は飲み、魚も食べ、それで別に社会から糾弾などされていません。 大酒を飲み、酔っぱらって、寺の本堂で乱交パーティを開くような坊様は、それは別に坊様でなくとも、普通の人でも社会から糾弾されます。 仏教の坊様にとっては、女性と触れたり、メイクラヴすること、酒を飲んだり魚を食べたりすることは、仏教の教えに反することで、こういう「欲望」を、修行の妨げになる「煩悩」と呼ぶのですが、煩悩というのは、多くの坊様の日常生活から云うと、自然なことのようです。 もう一つ、坊様ではありませんが、一般に、「子煩悩」という言葉があります。 これは、別に、子供が煩わしく悩みの種で、何かの邪魔になるのかと云えば、そうではなく、子供が可愛く、何時も子供のことを考え、細かいことにも、子どものためにと、あれこれ気も身も使う親のことを、こう呼びます。 別に、子どもが、何かの「妨げ」になっているのではないのです。 親にしてみれば、ふと、思うと、「ああ、おれは、何と子どものことばかり思っているのか。 これも煩悩か」などとなります。 「煩悩」というのは、仏教の教えとか、人間の生き方はいかにあるか、などということの前では、何か安楽な、気持ちよい、楽しい方にばかり気が向くようで、困ったことだという考えもある他方、「自然な欲求」「自然な望みのおもむく方向」であって、煩悩だが、しかし、これもまた良しなどというものです。 これは、仏教の教義として、煩悩に迷う人の姿こそ、すなわち、仏の姿に他ならないという考えもあるのです。 煙草をやめないと、肺ガン確実と云われていて、それでも吸いたいという人の場合、煩悩とは云いません。 また、大学受験中なのに、異性のことに意識が向いて勉強に集中できない高校生も、それを煩悩とは云いません。 (ただし、高校生の親が、寺の住職だったりして、子どもに、そんな煩悩は振り払え、と説教するかも知れません)。 煩悩というのは、本来の仏教の教えでは、たいへん厳しい、覚りの道にあって、克服せねばならない誘惑や欲望だったのですが、「煩悩すなわち仏」というような考えは、人間は自然に振るまい、自然に生きるのがやはり一番であるという考え方でしょう。 肺ガン寸前の喫煙者や、受験勉強に必死な高校生にとっては、喫煙や、恋愛は、自然のままを楽しもうなどということではないのです。 人間は、欲望が強すぎると、色々不都合なことが起こることが、或る程度分かっているともいえます。 分からない人、自制がきかない人は、酒に溺れて身を滅ぼすとか、守銭奴になって、世人の顰蹙を買うなどとなり、そういう人自身は、煩悩も何もないでしょう。 しかし、そういう人を横目で見ていると、酒を飲み、恋愛をし、ギャンブルで小銭を失い、自堕落な生活を少々しても、歯止めがかかっていて、ああ、これが煩悩というものか……で片が付きます。 「わかっちゃいるけどやめられない」というのは、確か古い歌の言葉ですが、そういう心境の「分かっている」のが、煩悩だと分かっているということで、度を超さなければ、やめる必要もない訳です。 本格的な修行をしている坊様にとっては、厳しいことでまた別ですが、普通には、煩悩はまた楽しいことなのです。 本来しない方がよい、というのをするのは何とも楽しいことなのでしょう。 世界中の文化がそうだとは分かりませんが、日本は、煩悩を楽しむ文化です。 煩悩は、仏教の用語で、元々、かなり難しい思想的意味を持っていましたし、煩悩とは何かというので、色々な議論もありました。 しかし、それはともかく、具体的な例の話で、日常語での「煩悩」の使い方というか、意味を考えてみましょう。 「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ています。 「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「わずらわしい」と入れて変換すると、「煩わしい」と出てきます。 また「悩」は、「なやみ」のことで、「なやみ」と入れて変換すると、「悩み」と出てきます。 A ベストアンサー 高校まで福岡市西区に住んでいた者です。 20代で、母は東京、父は佐賀出身です。 私も2つの間に特別なラインはないと思います。 実際意識して使い分けていません。 方言でもう身についてる分意識していないのかなといろいろ考えて見ましたが、やはり区別して使ってないですね。 あるとしたら、世代・福岡の中での地域差でしょうか。 予断ですが、大分の耶馬溪方面では、「~しちょる」を使うと聞いたことがあります。 また分からないことがあれば聞いてくださいね。 久しぶりに福岡の方言に触れて嬉しかったです。

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「よう言わん」って、どういう意味?

言わ ず も が な 意味

「言わぬが花」の意味とは? 「言わないほうが粋」を意味することわざ 「言わないほうが粋である様子」を意味する、「言わぬが花」ということわざ。 1から10まですべてを説明することは簡単ですが、あえて言わないことにより「奥ゆかしさ」や「おもむき」が感じられることを表しています。 「言わぬが花の吉野山」は地口の1つ 「言わぬが花」を使った言葉の1つが「言わぬが花の吉野山」です。 「言わぬが花の吉野山」は、ことわざや成句(せいく)を用いた、言葉遊びである地口(じくち)に当てはまります。 地口にはいくつかの種類があり、「言わぬが花の吉野山」は「韻を踏んだ地口」で、「吉野山」に深い意味はありません。 「言わないと伝わらないこともある」を忘れずに 「言わないほうが粋である」という意味をもつ、「言わぬが花」という言葉。 「言わないほうが良い」状況があるのに対し、「言わなければ伝わらない」ことがあるのも事実です。 全てを「言わぬが花」のことわざに倣うのではなく、言わなければいけないことはしっかりと伝えましょう。 「言わぬが花」の類義語 「沈黙することに価値がある」を意味する「沈黙は金」 「言わぬが花」の類語には、「沈黙は金(きん)」が当てはまります。 高価な「金(きん)」に例えられるほど、「沈黙」には価値があることを意味しています。 例えば、「よく喋るAさんよりも、寡黙なBさんの方が信頼できる。 まさに沈黙は金だ」などの使い方をします。 「言わない方が思いは伝わる様子」の「言わぬは言うに勝る」 「口に出して言うよりも、黙っている方が思いを伝えられる」という意味の、「言わぬは言うに勝る」ということわざ。 「言わぬが花」と同様に、「言うこともできるがあまり多く語らない方が、より強く思いが伝わる」ことを表しています。 「知らない方がいい」を意味する「知らぬが仏」 「知らない方がいい」ことを意味する「知らぬが仏」も、「言わぬが花」の類語です。 知ってしまうと「怒り」や「悲しみ」などの負の感情が湧く内容でも、知らなければ平穏な心で接することができることを表しています。 「言わぬが花」は言わないことにより「おもむき」を感じますが、「知らぬが仏」は知らずにすんだことによって心が穏やかな様子を意味しています。 「知らぬが仏」と似た「見ぬが仏、聞かぬが花」 「知らないでいることにより、心が平穏な状態でいられる」という意味の「見ぬが仏、聞かぬが花」も「言わぬが花」の類語です。 「見ないこと」「聞かないこと」で、平穏な状態を保つ様子を、「仏」や「花」に例えています。 「口を慎むこと」を意味する「口は災いの元」 「口は災いの元」ということわざも、「言わぬが花」の類語です。 いらない発言がもとで、災いが訪れる様子を意味しています。 例えば、「不意に出た一言のせいで、築き上げてきた信頼を一気に失った。 口は災いの元というが、まさにそうだ」などの使い方をします。 「言わぬが花」の対義語 「言わないと分からない」を意味する「言わぬ事は聞こえぬ」 「言わぬが花」の対義語には、「言わぬ事は聞こえぬ」が当てはまります。 「伝えたいことがあるならば、口に出さなければ相手に伝わらない」という意味のことわざです。 「言わぬが花」のように、言わないことにメリットがある場合もありますが、言わなければ伝わらないこともあります。 「言う」「言わない」は、相手や状況によって判断してください。 「言わぬが花」を使った例文• 話題の映画を見に行ったんだけど、とても面白かったよ。 結末は言わぬが花、これから見る人もいるだろうから、伏せておくよ。 「言わぬが花」の英語表現 英語では「better leave it unsaid」 「言わぬが花」を英語で表現する場合、「better leave it unsaid」が適しています。 「better leave it」が「より一層いい」、「unsaid」が「口に出さない」を意味しており、「口に出さない方がより一層いい」という意味になります。 また、類語で紹介した「沈黙は金」ということわざを英語表現にした、「silence is golden」も適しています。 状況に応じて使用してください。 まとめ 事の全てをあえて言わないことで、出来事に奥ゆかしさやおもむきを表した「言わぬが花」ということわざ。 類語には「沈黙することに価値がある」という意味の「沈黙は金」や、「言わない方が思いは伝わる」を意味する「言わぬは言うに勝る」があります。 類語でも、意味が少しずつ異なるため、状況に応じて使用してください。 言わないことで「おもむき」が増す場合もありますが、「言わないと伝わらない」こともあるため、注意しましょう。

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「見ざる聞かざる言わざる」三猿の意味と由来とは?本当は四猿?

言わ ず も が な 意味

ビジネスシーンにおいて、想定されるシーンと例文をご紹介します。 (1)余計なことかもしれないと前置きしながら、相手に説明するとき ・これは 言わずもがなかもしれませんが、念のためご指摘申し上げます。 (2)言わない方がいいことを相手に指摘するとき ・本件について弁解されたい気持ちはわかるのですが、御社の内部事情については 言わずもがなではないでしょうか。 (3)言う必要のないことを省略するとき ・海外事業部のA部長は、英語は 言わずもがな、中国語も堪能です。 ・新しい経理電算システムは、事務担当者は 言わずもがな、当の経理担当者にとっても操作が難しいそうだ。 プライベートにおいても、同様の場面で使うことができます。 いちいち説明しなくてもわかりきっていることに対して使います。 【「言わずと知れた」を使った例文】 ・彼は 言わずと知れた優秀な営業マンだ。 ・お酒の飲みすぎが健康に与える影響は、 言わずと知れたことだ。 口に出して言わない方がいいときに使います。 【「言わぬが花」を使った例文】 ・失敗の言い訳をしたい気持ちはわかるけど、 言わぬが花だよ。 次に生かして。 ・あの件については、B部長の前では 言わぬが花です。 (3)「いわんや(~や)」 メールや手紙の中でしばしば登場する表現です。 【「いわんや」を使った例文】 ・A社は誰もが敬遠するクライアントだ。 いわんや新人に担当させるのは無理がある。 ・私は和食をうまく作ることができない。 いわんや中華をやだ。 自分より年上の相手と話すときには、古風なイメージを感じさせることができると思います。 意味や使い方をマスターしておくと役立つと思いますよ。

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