の ー ぶら チャレンジ。 スマイルゼミからチャレンジタッチに変更した理由と、教材の違いを解説|のんびりはっぴー

DXチャレンジ 2019

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堺のまちをぶらり歩きで楽しむ 【ぶらさかい】の中区 陶器篇も第5回となりました。 今回も案内をお願いしている中区の物知りハカセ 岡村理良さんと一緒にお届けします。 のは、江戸時代に陶器の大庄屋(おおしょうや)をつとめた 兒山家(こやまけ)です。 兒山家では、地域の人と一緒になって、江戸時代の古民家を田園風景ごと守ろうとする取り組みが行われていました。 前回のクイズは、この 兒山家の納屋(なや)を改装した ナヤ・ミュージアムに展示されていた、 奇妙な農具から。 この農具を使って栽培する作物は何? というのがクイズでした。 岡村ハカセ「答えは タバコです。 それにしても、タバコを陶器で栽培していたのですね。 おどろきです。 タバコって、どこか外国で作っているようなイメージがありました。 岡村ハカセ「栽培していたどころか、タバコは江戸時代から陶器で作られていて、陶器の名産品だったのですよ。 よろしくおねがいします!! 岡村ハカセ「さて、今日はいらっしゃるかな……いらっしゃると話が早いのだけれど。 岸田さーん。 いてはりますかー」 岡村ハカセが玄関から名前を呼ぶと、1人の年配の男性が姿をみせました。 岡村ハカセ「こちらは 岸田光雄さん。 岸田さん、 タバコ小屋をみせたってほしいんやけど」 岸田「兄貴んところの タバコ小屋かい。 ええよ。 タバコ小屋というのは、お兄さんの所にあるのですね。 タバコ小屋って、なんでしょうか? 喫煙所ですか? 岡村ハカセ「いやいや違いますよ。 岸田さんに案内されて、すぐご近所のお兄さん( 岸田良雄さん)のお宅へ。 前庭があって、その片隅に、小屋が2つありました。 1つは簡素なつくりのものと、もう1つは小屋というよりは離れとでもいうような、2階建の高さがある立派なものでした。 この大きな方の小屋がタバコ小屋のようです。 屋根が 二重になっているのが不思議です。 屋根が二重になっています。 岸田「今は、小屋に手を入れて物を置いたりしてるんやけど、もともとは タバコ小屋やってん。 岸田「屋根の下をみてみ。 開けるのに苦労しそうです。 岸田「昔はフタにヒモをつけていて、外からひっぱって開ける仕組みにしてたんや」 --おおーカッコいいギミック(しかけ)!! 上の屋根と下の屋根の間に木のフタがあり、開け閉めしてタバコの葉を乾燥させました。 福田には 専売公社の集積所があって、上神谷(にわだに)や美木多(みきた)、深井や和泉からもタバコの葉が集められてきたようです」 岸田「ものすごい量になるので、この日は上神谷から、この日は美木多からと持ちこむ日が決まっていたんや。 タバコは専売制ですものね。 兒山家の松尾亨子さんが、小さいころ「おまわりさんに怒られるかな」とドキドキしながら、タバコの葉をちぎったのも、タバコの葉が特別な扱いを受けていたからなんでしょうね。 岸田「集めたタバコの葉を選別して、一番いい葉は 天葉、一番悪い葉は 泥葉と呼ばれました。 岡村ハカセ「 陶器の タバコは昔から出来がよくて、京都でも 陶器の タバコは良い タバコと人気があったそうです。 岡村ハカセ「 タバコは戦国時代に日本に伝わり、堺では タバコをきざむ タバコ包丁が作られます。 江戸時代の 陶器藩でも タバコづくりが奨励(しょうれい)されていたようです。 牛乳でもとってたんですか? 岸田「牛や馬の仲買(なかがい)をする 馬喰(ばくろう)いう人らが、牛を売りにきてね、農家は 馬喰から子牛を買って農作業で使いながら1~2年育ててまた 馬喰に売るんや。 牛と一緒に写ってる写真があるから、みるか? 見せてもらったのは堺の歴史を写した写真集の中の1枚です。 大きな牛と少年のツーショットを岸田さんは見せてくれました。 岸田「この牛をひいてるのが わしや」 なんと、少年が岸田さん本人でした。 つい最近までは、牛は身近な存在だったのですね。 立派な牛ですね。 岸田「毎年8月25日に、河内長野の 観心寺で 『うしたきさん』っていう、まぁ牛の 品評会があってな。 品評会は、どういう目的でいくんですか? 村のほこりをかけて、とか? 突然押しかけてすいませんでした!! 岡村ハカセ「そういえば、 岸田さんのお兄さんのお宅には、面白いものがあるので、それも見せてもらいましょうか」 岸田「ええよ。 兄貴も帰ってきてるかな? 」 そうして今度は、 岸田良雄さんのお宅にもあげてもらいました。 なんだこれは!? 天井から出た木の棒に台がひっついている?? それに何も載ってませんし。 岸田「これは 360度動くねん。 なんのために動くかわかる? さあわかりませんね? 岸田「毎年お正月にだけ使うんやけど、毎年 いい方角があるやろ。 またもでました昔のギミック(仕掛け)!! ナヤ・ミュージアムだけじゃないですね。 陶器の昔のおうちは、不思議がいっぱいのワンダーランドですよ! 岡村ハカセ「 岸田さんの所には、畑にも 神様がいるからそれも見せてもらいましょう。 岸田さん案内してくれますか? そういって、お家から少し離れた所にある畑の畦道まで連れて行ってもらいました。 岡村ハカセ「実は2つ並んでいるものがあるのだけれど、ひとつが神様です。 さて、どっちが神様でしょうか? さて、ここで ぶらさかいクイズ!! こちらにある小さな 祠(ほこら)と 積んだ石がありますね。 この どちらが神様でしょうか? というのが、今回の ぶらさかいクイズです!! 中にお供えがしてあるようです。 四角柱の石の上に円柱の石が乗っかっています。 【次回予告】 長く続いたぶらさかい 中区陶器篇もいよいよ最終回!? バス路線の終点にもなっている某所から陶器を一望します。 そして中区陶器篇の次は一体どこへ……? どうなる、ぶらさかい新シリーズ??

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堺のまちをぶらぶらと散歩気分で魅力をさがす 【ぶらさかい】。 今回は北区 五箇荘(ごかしょう)校区の 大豆塚(まめづか)を、北区の物知りハカセ 小松清生(こまつすがお)さんに案内していただいています。 () 小松ハカセと一緒に訪れているのは、 大豆塚でかつて地主をされていたお米屋さん古橋さんのお宅。 大豆塚の歴史を語ってくださるのは、なんと94才の 古橋政一(ふるはしまさかず)さんです。 【ぶらさかいクイズ】は、 古橋さんの語る牧歌的な 大豆塚の情景から。 農村だった 大豆塚では、飼育していた 牛を連れて 堺の町(旧市街)へ行き、何かを積んで車に載せて戻ってくることがありました。 一体 何を積んできたのでしょうか!? というのがクイズでした。 一体なんで うんこなんかを運んできていたんですか? 古橋「積んできた 人糞を肥だめにためて、農家は 人糞を肥料に使っていたです。 このあたりから東の農家はみんな 堺の町へ 人糞を取りに行っていたようですよ。 朝行って、昼前に帰ってくる。 毎日じゃなくて、週に何回とかだと思いますけれど」 小松ハカセ「 堺の町は人口が多かったからですよね。 常磐(ときわ)町の農家は 天王寺まで 人糞をとりにいっていたと聞きました」 目次• 古橋「そうですね。 古橋「米、麦に、きゅうり、なすびとかかな」 小松ハカセ「油紙の ハウス栽培があったんですよね」 古橋「木で枠を作って、障子紙に菜種油をかけて油紙にして貼り、キュウリやなすびを種から寒い間育てました。 あとは、じゃがいも、さつまいも、えんどうまめ、おたふくまめなんかも」 小松ハカセ「 大豆塚は 堺の町のごちそう供給地だったんです。 特に 大豆塚のきゅうりは有名でした。 そういうこともあって大豆塚は豊かな村だったのですか? 古橋「そうですね。 小作農の家もあったけれど、だいたいが 自作農。 みんなそこそこの土地を持っていて、農家としての貧富の差もあんまりなかったですね」 小松ハカセ「そこは同じ 五箇荘でも 北花田とは違いますよね。 北花田は大地主がいて小作農がいる集落だったようですね」 古橋「 五箇荘の中では、 堺の町に一番近かったし、 大豆塚は一番発展していましたね。 古橋「昔は 堺の町へ行く道が 長尾街道しかなかったでしょう。 昔は長尾街道を通って布忍の方から歩いてやってくる人も多かったそうです。 長尾街道の交通の要所ですものね。 小松ハカセからは、堺の町の人が3月25日に道明寺にお参りに行く『はるごと』の話を聞きました。 古橋「逆に 堺区大浜の(7月31日の) 大魚夜市の時は、 布忍 (ぬのせ=松原市)の方から沢山人が来て。 夜12時をまわる頃になって東へ帰って行くんです。 その頃はまだ靴が無いから、みんな草履でね。 古橋「それがいつ頃からかはよくわからないんですよ。 西願寺(さいがんじ)にあった昔の地図を見ても、昔近くに 布池(ぬのいけ)というのがあって、そこから 土居がぐるっと 大豆塚を囲んでいた。 (堺区の) 土居川の小さいやつみたいなもんですわな。 古橋「実はうちの父親が昭和30年頃にお寺の過去帳を調べて 家系図を作りかけていたんです。 交通事故で死んでしまったので、私が引き継いで原稿を書いたんです。 小松ハカセも見るのははじめてですか? 小松ハカセ「はじめてです。 この字はどなたが書いたものですか? 古橋「いえ。 村にお寺は一つですが、 大豆塚ではいくつものお寺の檀家になっていたのです。 うちは今は 堺区神明町に移転した 超元寺(ちょうがんじ)さんなのですが、家系図にはその 超元寺がどうやって出来たかから書かれています。 大豆塚にいたある浪人が暁(早朝)にひらめいて全国行脚をはじめ越後の国(新潟)の柿崎(現在は上越市内に柿崎の地名がある)で後に 蓮如上人(れんにょしょうにん) となる僧に出会い師事して僧となり、 了西と名乗ります。 その 了西が 大豆塚に帰ってきて祠(ほこら)を建てたんですな。 それが 超元寺さんの前身の 了西庵で、刑務所と南海高野線の間の今は公園になっている土地にあったそうです。 私らは 「おじがみ」と呼んでいたが、「王子が飢(おうじがうえ)」で熊野街道の 「境王子」のことだったらしい。 5代目の 了慶の時に 了西庵は堺の町の北荘に引っ越して 超元寺となります。 本願寺堺別院の南にあり、二階にお堂があります。 「二階堂」と言われるように、二階にあるお堂が特徴的。 小松ハカセ「お話しはつきませんが、そろそろ次の場所へ行きましょうか。 古橋さん、貴重なお話しありがとうございました! この細い路地は水路があった跡かな。 小松ハカセ「そうです。 そりゃまたどうして? 小松ハカセ「謎でしょう。 その理由がようやくわかったのです。 なんだと思います? しこ名が池の名前になったんですか? そりゃまたどうして? 源氏山さんが池でおぼれて死んじゃったとか!? 小松ハカセ「いえいえ。 源氏山さんは本名 岡本源蔵さんといって、 布池で 魚の養殖(ようしょく)をしていたのです。 小松ハカセ「食用ですよ。 フナやコイ、ウナギにモロコ、エビも。 小松ハカセの言うとおり、本当に 大豆塚はごちそうの供給地だったんですね。 しかし、昔あった 布池も全部埋めて住宅地になり、農地も無くなって、大豆塚に昔の面影は無くなってしまいましたね。 三つの力石が残る公園。 小松ハカセ「こちらの公園は 布池の跡地なのですが、農村らしいものが残っていますよ。 勇石、力、若……。 小松ハカセ「これは 力石です。 どれぐらい重い石を持ち上げることができるのか、村の若者たちが力比べをしたものです。 お百姓さんは力仕事ですから、力があるかは重要です。 昔の人たちって力持ちだったんですねぇーーー。 ちなみに浄土真宗本願寺派を「お西(にし)」といいます。 小松ハカセ「こちらのお寺は真宗(しんしゅう)大谷派の 西願寺(さいがんじ)さんです。 住職(じゅうしょく)の 藤原勲(ふじわら いさお)さんには、これまで 大豆塚の過去を知るのに協力していただきました。 浄土真宗は特に民衆に人気があった宗教と言われています。 とてもていねいにやさしく仏教やお寺について話してくださいました。 人々が集う場所として惣道場が欲しいという願いで出来た。 藤原「村の人が救いや仏様の教えを求めていたことと、このお寺だけではなく、お寺にはいくつもの側面があります。 小松ハカセ「江戸時代に幕府は キリシタン禁止政策をとっていて、 寺檀制度でどこかのお寺に所属しないといけなかったのです。 それをてっていするために村ごとに村民の名前と性別・年齢・宗旨と檀那寺(だんなでら=所属するお寺)を書いた帳簿・ 宗門改帳(しゅうもんあらためちょう)を作っていたのです。 実は 西願寺には、 大豆塚の 宗門改帳の他、様々な資料が残っていました。 それが大豆塚の歴史を知る手がかりにもなったのか。 藤原「お寺というのはそういう制度の中で、地域の役所みたいな役割をはたしていた政治的側面があります。 しかし、それだけでなく、もともとのお寺の願いというものがあります。 現代ではお寺は死んでから、亡くなった人のためのものというイメージが強いですが、仏教というのは 『教え』なのです。 教えって生きている人が必要としているものですものね。 藤原「集える場所を願われて建ってきた。 それが時代をまたいで継承されてきて今の形がある。 今は今の時代に応じた形で、地域と関連できるような形をさがしています。 それもお寺のあり方なのかなと思います。 藤原「 摂取不捨(せっしゅふしゃ)といって、何者も捨てないという誓いです。 これは 阿弥陀仏(あみだぶつ)という仏様がたてられた誓いです。 (浄土真宗の宗祖) 親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、自分だけが救われるのではなく、万人の救いを求めて民衆と出会いました。 人と出会っていくという生き方をされた人です」 小松ハカセ「 西願寺さんでは、地域の人が寄り合える場所として、会館を開放していますね」 藤原「 『オープンテンプルあいあう』という名前で、お寺の会館を『母と子どもの部屋』として開放しています。 もう農地も亡くなってしまった大豆塚ですが、そこかしこに農村だった面影が残っているのも面白かったですね。 西願寺さんに残っている資料の分析が進んで、大豆塚の歴史が明らかになってきたってすごいですね。 小松ハカセ、藤原住職、今日はありがとうございました! 以上、ぶらさかい北区篇でした!! さて、次はどこのまちをぶらぶらしましょうか。

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