お 題目 意味。 創価学会の人達があげている題目って何の意味があるのですか...

御題目を唱える理由とは

お 題目 意味

日本人同士であれば日本語で話します。 カ人であれば英語で話します。 仏様である御本尊様と御話しをするときは、御経であるの方便品と寿量品を唱え、更に御題目の南無を唱えることで御本尊様に気持ちを伝えることが出来ます。 南無という御題目を唱えながら、自分の気持ちを伝えることが大事です。 また御先祖様に対しても御題目を御本尊様に唱えれば、その思いは御本尊様の力で伝えて下さるのであります。 私達の力ではどうにもなりません。 御本尊様の力をお借りしなければ、御先祖様に成仏の種を施すことが出来ません。 南無を唱えることで、私達に本来具わっている仏様の命、仏界が蘇ります。 大聖人は『法華題目抄』に、 「妙とは蘇生(そせい)の義なり。 蘇生と申すはよみがへる義なり」(御書360) と御指南であり、御本尊様の南無の「妙」の一字を拝して、御題目を唱えていけば仏様の命、仏界が蘇るのであります。 御本尊様に向かい正座をして、御念珠をし合掌すれば、仏様の命が蘇ります。 そして大切なことが、心・気持ちを落ち着かせ冷静になることです。 これをで「禅定」といいます。 気持ちを落ち着かせることで、三大秘法の御本尊様に境智冥合し仏様の生命・仏界が涌現しやすくなります。 御本尊様は常に禅定の境地におられます。 疑うことなく信じることが大切です。 これは迷い悩み雑念があると難しいです。 気持ちを落ち着かせ冷静になることが大事です。 人生における迷い悩み雑念は、御本尊様に向かい正座をして合掌し、御経と御題目の南無を唱えることで静めることが出来ます。 この御経をあげ御題目を唱える習慣を、生活に取り入れることで安定してきます。 入信間もない方や習慣になっていない方の場合、はじめは朝晩必ず御題目の南無を声に出して三回唱えることを毎日続けることです。 そして習慣付いてきたら、方便品と寿量品の自我偈を唱えるように心がけ、更に長行を唱えられるように段階を踏み、最終的に五座三座の勤行が出来るように精進していきます。 この段階を踏んで行うことは、全ての人生において、修得していく上で非常に大事なことです。 その人生における基本を勤行唱題で学んでいきます。 そして御本尊様に御題目を唱えることで、生命力を強化し人生における様々な障害を乗り越えていくことが出来ます。 御題目を唱える中で人生設計をし、安穏な生活を築いていきます。 努力と信念だけでは限界があります。 この努力と信念を本当のものにするのが「信心」です。 信心とはつまり御本尊様に御題目を唱え仏界である潜在能力を引き出すことです。 毎日欠かさず御本尊様に勤行をして、御題目を唱える習慣を持ちましょう。 その先に絶対的な幸福があります。 ekikyorongo 日蓮正宗信徒のポリ銀と申します。 創価学会の家に生まれて、19歳まで創価学会員でした。 高校三年生の時に、池田大作の「11. 16スピーチ」を地元の会館で観まして、創価学会に大きな疑問を持ちました。 20歳の時、創価学会を脱会。 父の勧めで顕正会に入会。 浅井昭衛の国立戒壇論に心酔し18年、38歳の時には罰で心身ともに疲弊しきってしまっていました。 自殺願望が募り、毎日のように「死にたい」と口にするようになる中、ネットで元顕正会員のサイトで顕正会の嘘を知り、日蓮正宗のお寺を訪問しました。 御僧侶の御話を聴き、説得されまして再入信させていただいたのが、2010年。 今年(2020年)は、再入信して満10年の節目となります。 10年間、罪障消滅の苦しみと向き合いながら、一歩ずつ自分の人生を良い方向に導いていただきました。 日蓮正宗に戻れて良かったと、思う人生にたどり着いた状態です。 どうか、一人でも多くの創価学会員・顕正会員が日蓮正宗に戻り、人生の立て直しができますように。 その思いでブログを書いています。 連絡先:porigin yahoo.

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御題目を唱える理由とは

お 題目 意味

単純な言葉を延々と唱え続けると、思考能力が低下して気持ち良くなるんです。 その思考能力が低下したときに暗示を与えると、マインドコントロール、つまり、潜在意識レベルでの心理操作が出来るんです。 催眠術のときに、単純な、規則性のある音を鳴らしたりするのと同じです。 で、それを悪用する人がいたらどうなるかってことです。 お題目を唱えてたら結果が出る、幸せになれるというのも、暗示です。 暗示の効果は、全くないとは言えません。 でもね、必ず効果がある、というものでもないのです。 もしもプロ野球選手がお題目を唱えてさえいればホームランを打てたり、盗塁できたり、ファインプレーができるというのであれば、練習なんて誰もしませんよ。 結局、強い意志さえ持っていれば、暗示なんて必要ないのです。 練習こそが上達の近道です。 あのイチロー選手だって、いまだに必死で練習してるんです。 お題目でヒットが打てるなら、野球選手は全員お題目を唱えてますよ。 お題目を唱えなさい、そうすれば幸せになれます、もしも願いがかなったら、それはお題目のおかげです、失敗したらそれは信仰心が足りなかったのだから、もっと拝みなさい・・・。 違うでしょ?ヒットが打てたら、盗塁が成功したら、ファインプレーが出来たら、それは練習の成果なんですよ。 三振したら、盗塁に失敗したら、エラーをしたら、それは信仰心が足りなかったんじゃなくて、練習が足りなかったんです。 なのに、練習もしないでお題目ばかり唱えてるとどうなるか・・・。 しかも、成功したらお題目のおかげだから「財務」、つまりお金を払えというのです。 こんな単純なことに気づかずにだまされている大人がいっぱいいるのです。 あなたは頑張って練習しなさいね。 うちも同じような環境で。 私たち姉弟も「勉強しなさい。 」と母に言われたことはありませんが、「一生懸命お題目を上げなさい。 」と毎日はっぱを掛けられてました。 姉は素直に信心して、そういう意味では両親からの評価も高かったですが、学校の成績は最悪。 私は「そんな時間があったら勉強したほうがいいんじゃないの?」って、まったく題目なんて上げませんでした。 母曰く、「お題目を上げたら、モチベーションが上がる。 普通に勉強だけするより頭に入る。 」という理屈なんだそうですが。。。 普通に勉強だけした私のほうが姉より断然成績が良かったので、我が家では効能は確認できませんでした。 答え:題目に何かあるとすれば。 「自己暗示」とか、それに似たもの位です。 特に必要はないでしょう。 貴方が題目を上げずに良い結果を出したとしても、「お母さんが祈ってたから。 」など、あなたの努力は全て無視され、創価学会がくれたご利益としか思われません。 盲信者ってそんなもんです。 そういう意味では残念ですが、悔やんでる時間はありません。 中学時代は忙しいんです。 題目上げる暇を惜しんで。 勉強に、野球に。 「自分の力」でがんばって、よい結果を出してください。 狂信者は何をする際も どこか行くときも 必ずお題目を上げているようです 例えば「朝仕事へ行くときにお題目を」「試合があるときはお題目を」 等など・・・ いい結果が出れば「お題目のお陰 日蓮仏法・お題目はすごい」 結果が悪くても「残念だったけどこれも意味がある事だ 前向きにとらえてもっとお題目をあげよう・会合に出よう」 といい 日常のすべてが創価の教えになってしまいます お題目をあげないと仏罰(物事が上手くいかない・失敗して問題が起こる)が 起こると洗脳されているために 必ずお題目を何時間も唱えているんですよ つまりお題目・会合・創価の活動すべてに出ないと何やっても 上手くいかない・頑張れないと思い込んでいるんです 洗脳され精神的に弱い人の集まりが創価なんです 「お題目をあげて創価学会・池田氏夫妻をお守りすれば 人生も生活もすべて守られ上手くいく」と学会員はいっています 完全に洗脳されていますよ 入会してお題目をあげなくても 幸せに生きて活躍している人は世界中に沢山いますよ つまり心の問題です ぼくは創価学会の人です。 たしかに、ぼくも意味なく題目唱えさせられています。 で、ひたすら詠んで(口に出して読むという意)覚えろなんて言われて、僕は納得できません。 自分が言うのもアレですけど、ちゃんとした方針を提示しないから創価学会も反発を受けるんでしょうね。 それで、意味もないのに生まれた時から創価学会に入っていて、色々悪口を言われているのを目にしたら、 「なんでおれなんもしてねえのに悪口言われなくちゃならないんだよ」みたいな錯覚に陥っちゃうわけです。 だからみんな脱会して、創価学会の悪口を言うんですよ!きっと! でも、池田大作先生はすごく偉大な人だと思ってます。 ただ、さっきも言いましたように、ちゃんとした方針を我々部員にも説明して欲しいです。 話がそれました。 結論は、題目には意味はあります。 意味もないのにあんな長い文読ませられていたのだとしたら、それこそぼくが創価学会の悪口いいますよ!.

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南無妙法蓮華経とはなんですか?南無妙法蓮華経の意味

お 題目 意味

勤行とは? 創価学会員の 勤行 ごんぎょうとは、 法華経 ほけきょうの 方便品 ほうべんぽんと 寿量品 じゅりょうほんの 読経 どきょう、つまり創価学会版 『勤行要典』 ごんぎょうようてんを読むことが、勤行であると広く認識されています。 ただ、本当は 唱題 しょうだい お 題目 だいもくを唱え、祈ること も含めて勤行といいます。 朝夕の 一日二回、 ご 本尊 ほんぞん様 曼荼羅 まんだら に向かい、方便品、寿量品という お経の一部を読経し、 南無妙法蓮華経 なんみょうほうれんげきょうという お題目を唱え、境涯を、高く、深く、広げて、いきます。 この 心を磨く作業 修行 を 勤行といいます。 方便品と寿量品の読経に慣れた人で 5分ほどかかります。 読経後に 唱題を行い、唱題中に自身の 願い、祈りを念じます。 この唱題の時間は個人により様々です。 5分~60分、180分、と開きがあります。 唱題し、祈った後に、 勤行要点の巻末に記載された ご 観念文 かんねんぶんを心中で読み上げて、勤行は修了となります。 一回の勤行で早い人で最低10分ほど 読経3分、唱題5分、ご観念文2分 はかかります。 お題目を唱える 祈る ことがメインなので、読経よりは長く時間を取ることが望ましいですね。 経文 勤行 の意味 勤行要点に記された 経文は 法華部 ほっけぶ(無量義経、 妙法蓮華経 みょうほうれんげきょう[ 法華経 ほけきょう]、観普賢菩薩行法経、涅槃経)の中の 妙法蓮華経 二十八品 にじゅうはっぽん 28章 の内の 第二品 だいにほんと 第十六品 だいじゅうろっぽんです。 第二品である方便品と 第十六品である寿量品には、生命は皆本質的に 平等でありいかなる境涯の者でも 成仏が可能であること、さらに生命は 永遠であり、仏は永遠の中を常に 『どうやって人々を速やかに仏界に成就させようか』と思いめぐらしている旨、が記されています。 これら 仏の知恵を経文の中で 随所随所 ずいしょずいしょに 讃嘆 さんたんしつくされているのが 方便品と寿量品です。 いかなる人でも変われるという 絶対の希望、いかなる事柄でも乗り越えられる、楽しんでいけるという 圧倒的な仏の智慧。 人間の生命はなんたる素晴らしさか、美しさか、との讃嘆の趣旨が書いてあるのです。 一文一文の中身が解れば解るほど、こんなにも思考に思考を重ねて 究めつくされているのか!!と 筆舌 ひつぜつしがたい感動があります。 このサイトでは勤行全文を詳しく解説させて頂いておりますので、経文一文一文にご興味のある方は 『方便品寿量品解説』も合わせてご参考ください。 【参考】 なぜ勤行をするのか? 方便品・ 寿量品には 『生命に対する絶対の希望、すべての困難を楽しんでいける無限の知恵、それら仏の境涯の如何に素晴らしいことか』との趣旨が記されていると説明しました。 詳細を説明するにはあまりにも長くなりすぎてしまうので、簡単にお伝えしますと、第二品と第十六品の方便品・寿量品は、妙法蓮華経二十八品の 肝心要 かんじんかなめです。 重要な真実は 悉 ことごとくこの方便品寿量品に 集約されていることから、方便品寿量品を読めば、 妙法蓮華経二十八品を全て読んだことと同義、とされています。 つまり私たち創価学会員は 妙法蓮華経二十八品全てを 朝晩に読経しているのです。 妙法蓮華経を読み、生命は永遠で美しい!仏の知恵はなんたる素晴らしいことか!と 妙法蓮華経に記された真実と思想を 讃嘆しているのです。 妙法蓮華経 という思想 を讃嘆し尽くした後に、妙法蓮華経に 南無 します、 命を任せます、信じます、と南無妙法蓮華経と唱題をし、 ご本尊様の境涯や知恵を譲り受けていくわけです。 生命に読み聞かせをすると言えば伝わりやすいでしょうか?胎内の赤ん坊に 読み聞かせや クラシック音楽を流すことに効果があるように、方便品・寿量品の 意味が 解 わからずとも、その妙法蓮華経 讃嘆の言葉は、 音声 おんじょうは、生命に効果があるのです。 読経だけをして題目をあげないことは、妙法蓮華経を褒め称えておきながら、 結局南無しない、つまり妙法蓮華経を 軽視 不信 していることになります。 唱題が主菜 ごはん で、 方便品寿量品の読経が副菜 あるいはスパイス である、との指導がありますが、これはまさに副菜、スパイスだけあって肝心の 主食がない状態と説明できます。 逆に題目だけあげて 読経をしないことは、妙法蓮華経に帰命 南無 してはいるものの、経文の 読み聞かせがない為に生命の永遠・真実が 解らず、いかなる境涯でも仏界を開いていけることも 解らず、仏の知恵の讃嘆もない つまり仏の知恵の幸福さが 解らない 状態となります。 これは結局題目をあげているのに、 迷いが多いことを意味します。 ごはんだけ食べて、おかずがないと、ビタミンやミネラルなどの 栄養失調をきたします。 力だけあって使い方が解らない、 空回りな状態と説明できます。 このように勤行は、生命の真実を 読み聞かせ妙法蓮華経を讃嘆する為に方便品寿量品を読経し、そして妙法蓮華経に 帰命し仏の境涯を開く為に南無妙法蓮華経を唱えるのです。 勤行の功徳 鹿島建設とサンシャイン60 勤行の功徳で有名な話と言えば、鹿島建設とサンシャイン60です。 若い世代の方は最早知らない人も多いでしょう。 勤行を30年間一回も欠かさなかった人 サンシャイン60をご存知でしょうか? 東京都豊島区東池袋にあるサンシャインシティの中核を担う超高層ビルです。 地上高239. 7メートルは、 完成当時はアジアで最も高かったビルです。 このビルは、勤行を30年間一度も欠かさなかった人が建てました。 鹿島建設副社長 三苫 みとま 仕 つこうさん 創価学会全国副指導長 サンシャイン60の創始者です。 死ぬ前にもう一杯 事業はうまくいかず、栄養失調の子供を抱え、盲目の妻を抱え、 三苫さんはもう自殺しようと考えていました。 踏み切りに飛び込んで死のうと……。 死ぬ前に、 一杯だけ、旨いおでんを食って死にたいと思い、見えた 赤ちょうちんに向かいます。 おでん屋と思い、死ぬ前の一杯なので確認もせず飛び込むと、それは 創価学会の座談会場でした。 昔の創価学会の拠点は会員が少ないこともあってわかりづらいので 赤ちょうちんを点けていたのです。 その座談会場で 戸田先生と出会った 三苫さん。 言われたことは、 『いいか、今から30年間、一回も欠かさずに勤行をしてみろ。 そしたらあんたはね、世界中どこへでも行けるような、ものすごい大金持になるよ。 そして、何千人も何万人もいるような大会社の重役になるぞ。 そして最後にひとつ、あなたは 皇居を見下ろすような大きなビルを建てるだろう』 嘘と思わなかった三苫さん。 言われた通り30年間、何があっても 一日一時間半の唱題と勤行を 一回も欠かしませんでした。 結果三苫さんは鹿島の 副社長になります。 一年間のお小遣いは 一億円を超えました。 そのうち 日本一のビル 当時 を建てるという計画が持ち上がります。 幾社も合同参加する中での 陣頭指揮は三苫さんに抜擢。 完成式のテープカットのとき、三苫さんは泣いていました。 「皇居が見えた。 本当に皇居が見えた。 これが、 勤行の力なのです。 自分には無理だと、うなだれる 惰弱 だじゃくさを叩き出す戦いだ。 悲哀 ひあいの追放なのだ。 希望の点火なのだ。 運命のシナリオを書きかえる革命なのだ。 自らを信じよ!卑下するなかれ! 卑下は仏法への違背だ。 胸中の仏界への冒涜だからだ。 宇宙に包み込まれていた自分が、宇宙を包み返し、 全宇宙を味方にして、幸福へ幸福へと回転し始める 逆転のドラマなのだ。 いいかげんな勤行 一日三千編 約一時間 の、お題目をしっかりあげなさい。 勤行は信心の一番の基本です。 今、 いいかげんな勤行をやっていたら、十年、二十年後には必ず失敗する。 それが 子供に出て来たり、 家庭に出て来たり、個人の立場で、いろんなところに波及して行く。 自分の信心をちゃんとやって行かないと、どんなに頭が良くても 薄っぺらな葉っぱみたいになってしまう。 信心の鎧を着ないで、 増上慢の鎧を着ている人は勤行一つにしてもはりがない。 そういう人は要注意だ。 学会の組織についていろいろ問題があるというけれども根本の一切の原因は 勤行そのものである。 本当に勤行をし、実践した人は、学会を築いて来た人達の 悩みと苦しみを自然にわかってくるものだ。 題目をあげ、勤行をし、学会の悩みを知って行こうという気持ちがなければ批判になってしまう。 毎日三千編 約一時間 の題目をあげていこう。 その一日三千編の題目があがると生命の回転が始まってくるのだ。 生命が綺麗になってくるのだ。 三千編の題目があがると学会のリズムになってくる。 常な三千編あげればそれだけ生命力が豊かになり、それ自体が行力になって来る。 題目をあげて魔を打ち破っていこう。 仏道修行で一番優しいのは題目だ。 又、 仏道修行で一番難しいのは題目だ。 しかし、一切の勝利の源泉、福運の源泉は 唱題にある。 戸田先生の勤行指導 勤行唱題というものは大事なものであります。 数の多いほどけっこうなことであります。 ただし、私が御本尊にすがりなさいということは、私も説明がたりませんでした。 それをはっきり申し上げておきます。 これは「 主師親 しゅししんの三徳」と申しまして、仏は、 主人と 親と 師匠の徳をもっているのであります。 大御本尊様は、この三徳を兼備していらっしゃるのであります。 そこで、すがるということは、 親にすがるように題目を唱えては「この小児マヒの子供をなおしてください」「私はいま、貧乏で困っております」「お父様どうかお願いいたします」と、 そしてまた、題目を唱えては 「ご主人たすけてください」そして題目を唱えるたびに、題目を五へん唱え十ぺん唱えしてはたのむ。 「 お師匠様、私によい方法を教えてください。 こんなに貧乏していては困ります」「うちのだんなは競輪ばかり行って困ります。 なんとかいい方法を教えてください」と、主人と親と、お師匠様にすがってたのむように、御本尊様にたのむことを すがるというのです。 この純真な心から信心をすれば、また折伏もできるのであります。 長い時間やったほうがいいとか、二時間やったほうがいいとか、功徳があるとか、そんなのは形式であります。 御本尊様へ、ほんとうの心でぶつかっていくのです。 お父さんたのむ、ご主人様たのむ、お師匠様たすけてくださいという、その熱意、その心情が、信心に現れてこそ、 医者もなおせない病気がなおるのです。 苦境を成功に転じ、苦悩を成長の糧にする。 変毒為薬、難即悟達。 そのための信仰である。 逃げずに、今いる場所で立ち向かうと決め、知恵を発揮していくことだ。 カテゴリ【教学】の記事一覧 Sponsored Links 帰命(きみょう) 帰命の意味、以下引用。 神や仏、またその教えを尊崇し身も心も従い、それに基づく言動を行うこと。 南無の訳語の一つ。 南無はサンスクリットのナマスあるいはその変化形のナモーの音写。 sokanet.

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