いたこ。 恐山 イタコの口寄せ【時期は?予約は可能?】

死後の世界はある?最後のイタコ(41歳)に聞く

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霊能者 木村藤子 きむら ふじこ 木村藤子さんは平成の時代を代表する霊能者の一人です。 イタコやゴミソなどで知られる青森県、むつ市 古くは下北地方 に 1947年 昭和22年 に8人兄弟の末っ子として生まれました。 母親を始めとして霊能力を持つ本物の霊能者の多い家系で、地元ではカミサマと呼ばれる伝統的な巫女 シャーマン の家系とも言えます。 木村藤子さんの母親も同じように霊能力を持ち、祈祷師をされていたそうです。 若い頃から霊能力に目覚め、もともと地元の信用金庫に勤めていた木村藤子さんですが、20代前半で神の光が視えたと言います。 その神の光を目にしてからは、霊能力が研ぎ澄まされ、人の未来が手に取るようにわかるようになったそうです。 木村藤子さんの母親もまた祈祷師として霊能力を用いた生活を送っていました。 その姿を見ていた木村藤子さんは、霊能者の世界に足を踏み入れることを望んではいませんでした。 望まない霊能力は衰えることもなく、視えなくてよいものが視えてしまう苦痛を耐え忍びながら普通の生活をおくっていました。 23歳の時に結婚をして、普通の幸せを手に入れたと思ったのも束の間、結婚をしても霊能力は衰えることなく、ついにその苦痛から崖から投身自殺を図ることになります。 しかし不思議な力により自殺は妨害され、神様が死ぬことを許さないのだと悟ったそうです。 このようにして木村藤子さんは霊能力を受け入れ、カミサマとしての役割を担うようになりました。 現在も一般の人からの相談も受け付けている木村藤子さんの人助けは、こうして始まったのです。 ヘビの行方を霊視で当てた木村藤子さん そんな木村藤子さんが一躍有名になったのは、40歳を超えた 1990年 平成2年 9月のことでした。 青森県むつ市の百貨店で爬虫類ショー「世界のヘビ・大爬虫類展」が催されていましたが、そこで1匹のニシキヘビ 厳密にはアミメニシキヘビ が行方不明になるという事故が起こったのです。 逃亡したニシキヘビはなんと体長5メートル、胴回り30センチメートルもある巨大なヘビで、近隣住民はパニック状態になりました。 この事件はニュース番組などでも取り上げられ、ヘビの捜索には100名以上が動員されました。 100名以上が捜してもヘビは見つからず、ヘビを捕獲の対策室には手詰まり感が漂っていました。 そんなおり地元のある人物が、ヘビの行方を捜してもらえばいいと木村藤子さんを紹介したそうです。 対策室の人は半信半疑で木村藤子さんにヘビの行方を霊視してもらうよう依頼しました。 すると木村藤子さんは「川を泳ぎ渡ろうとしたヘビは、水が合わないために引き返した」こと、それから「ヘビは百貨店の敷地内で息を潜めて隠れている」ことを告げ、「捜索しても見つからないようなら、また来なさい」と言ったそうです。 そして木村藤子さんの霊視の結果に従い、対策室では百貨店の近辺を中心にヘビを捜索することにしました。 それでも見つからないため、改めて木村藤子さんを訪ねると、「夜10時には発見できる」こと、「ヘビが警戒しているので駐車場のライトを消して車を動かさないこと」と指示をしました。 この指示に従ったところ、夜10時にヘビはすぐ近くで発見されたのです。 この件については、後日ヘビ捕獲対策室が木村藤子さんに感謝状をおくり、その一部始終がテレビでも報道されることになりました。 この事件をきっかけに、木村藤子さんは日本中で有名になり、「ヘビのカミサマ 蛇の神様 」の異名で呼ばれるようになったのです。 その後、テレビ番組への出演の機会も増え、今では現代の日本を代表する有名な霊能者になりました。 テレビ番組で共演する機会のあった美輪明宏さんは、霊能者を名乗る数多くの偽物がいることに言及した際、数少ない本物の霊能者として木村藤子さんの名前を挙げています。 名実ともに本物の霊能者である木村藤子さんですが、人助けをするという信念から、有名になった現在も一般の方からの相談を受け付けているそうです。 木村藤子さんと飯島愛さん 2007年1月に放送された金スマ 正式名称「中居正広の金曜日のスマたちへ」 という番組の中で、木村藤子さんが飯島愛さんを霊視したことがありました。 その中で木村藤子さんが「あなたはウソを言っている」、「そんな病気で 芸能界を 辞めてはいけない。 」などとアドバイスをしましたが、その後結局は引退を決意し、2年後には死去することになりました。 このことから番組での木村藤子さんの意味深なアドバイスについて、どのような意味であったのかが議論されています。 飯島愛さんが木村藤子さんのアドバイス通りに芸能界を去らない決断をしていたら、果たしてどのような結末をむかえることになったのかと囁かれています。 木村藤子さんの連絡先 前述の通り、木村藤子さんは有名になった現在も一般の方からの相談を受け付けているそうです。 もちろん希望者が多数である上に、木村藤子さんご本人も多忙ですから、誰もが相談を受けてもらえるというわけではありません。 本当に困っている人、差し迫った問題を抱えている人は、一度木村藤子さんに相談してみるのも良いかもしれません。 なお、木村藤子さんは次のような相談は受け付けていません。 行方不明者や家出した人の捜索。 病気を治したり、痛みを和らげるような治療。 カウンセリングのような相談。 宝くじ 特に番号選択式のもの や事業、株式投資などお金儲けに関すること。 前世の診断。 実際に木村藤子さんに霊視を依頼するには、ある場所で公開されているという木村藤子さんの電話番号に連絡をして、相談内容を伝えて予約を入れます。 このとき、相談内容がはっきりと伝えられなかったり、また適切でないと判断される相談内容の場合には、予約を断られることがあるそうです。 予約することに成功した方は、JR大湊線の下北駅からタクシーに乗り、木村藤子さんのご自宅に向かいます。 タクシーの運転手には「木村のカミサマ」と伝えれば場所はわかるそうです。 霊能者協会では実際に木村藤子さんの霊視鑑定を受けたわけではありません。 ここに記載した内容が現在の予約方法と異なっている可能性もありますので、本件に関するお問い合わせにはお答えできません。

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最後のイタコ~松田広子のホームページ

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巫女 みこ が、人々の求めに応じて神霊の尸童 よりまし となって神意をことばで伝えること。 あるいはこの行為を行う巫女のこと。 生霊を寄せるのを生口 いきくち 、死霊を呼び出すものを死口 しにくち 、吉凶禍福を判断し、示すものを神口 かみくち といい、鼓・琴・弓あるいは数珠 じゅず などを手にして、音を鳴らしながら神霊の降霊を待つ。 生口、死口、神口によって多少の変化はあるが、問口 といくち といって、依頼者が問いかけ、それに対して口寄せさせて答えるものと、一人称で語りかけるものとがある。 口寄せをする者を東北地方ではイタコ、オカミン、関東地方では梓 あずさ ミコ、南西諸島ではユタ、カンカカリヤーなどとよんでいる。 イタコのイタもユタと同じく、「言う」という行為を意味することばで、口寄せの行動を表すものである。 東北地方では盲目の女性が多いが、一般には盲目とは限らない。 一定の修行をし、神憑 つ けが行われ、特定の神仏を守護神としてもっている者と、突然神がかり状態になって憑霊 ひょうれい する者とがいる。 東北地方では春秋の彼岸、盆などに口寄せを行って、死者を祀 まつ ることが多いが、沖縄のユタなどは、日を定めず依頼することが多い。 口寄せとはいわないが、神口と同じ行為が各地の神社祭儀にみられることは、憑霊現象として注意してゆかねばならぬ問題である。 たとえば福島市松川町の羽山神の神託などはその一例である。 本来は日を定めて神意を伺うことが必要であり、口寄せはその一形態といえよう。 [鎌田久子].

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最年少ゆえ、「最後のイタコ」と呼ばれています。 プライベートでは2児の母。 スラリとしてクールな雰囲気の松田さんは、イタコの衣装を着ていないと 普通のアラフォー女性にしか見えません……。 本当にイタコなんですか? そして、なんでイタコの世界へ入ったのでしょうか?? 「幼少時、体が弱かった私は頻繁に原因不明の熱を出して保育園を中退するほど。 それで困り果てた親がイタコ(後の師匠・林ませさん)のところに私を連れて行ったんですね。 当時、病気や悩み事をイタコに相談に行くというのは珍しいことではありませんでした。 それでイタコにお祓いをしてもらうと不思議に熱が下がったのです。 それから大きな病気にかかり、医者には『もう無理』と見捨てられた状態でしたが、師匠のお祓いや祈祷で楽になっていきました」 当時、人気イタコだった林さんの元には毎日20~30人の相談者が訪れていたそうです。 松田さんはそんな師匠の姿に憧れを抱くようになり、中学校を卒業後に弟子入り志願。 「平日はヤンキー(学校に通学)で、週末はイタコ(修行の身)でした 笑 」 一人前のイタコになるために、松田さんはちょっとヤンチャな学校に通いながらも熱心に修行を行い、高校卒業後の19歳の時、晴れて師匠に認められて恐山デビューを果たしました。

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