エジプト 吉村 作治 病気。 【吉村作治】の娘は女優で嫁はどんな人?学歴&病気の噂もまとめてみた!

千葉雄大、エジプト考古学者に憧れ吉村作治の大学を目指していた!

エジプト 吉村 作治 病気

「」を読んで。 エジプトはカイロに住むアリさんに直接聞いた話でも書いておきます。 エジプトと言えば、やはりピラミッド。 ギザのがもっとも有名ですね。 エジプトにはギザのピラミッド以外にも、サッカラのなど、魅力的なピラミッドも多数存在します。 エジプトに行って、アリさんから聞いて一番衝撃的だったのは、 他にもたくさん遺跡はある。 どこにあるかわかっている、埋まったままの遺跡もたくさんある。 だが、発掘はしていない。 ということでした。 「えっ、遺跡があるのがわかっていて、発掘しないの?」と驚きました。 アリさんは、なぜエジプト人が遺跡発掘をしないのか、その理由を教えてくれました。 発掘しない2大理由は以下の通りです。 エジプト人が自ら遺跡発掘をしない理由 1. 新たに遺跡を発掘する必要性がない。 ギザのピラミッドを見るために、遠くエジプトまで観光客はたくさん来てあふれかえっている。 発掘作業は大変。 作業協力者はボランティアみたいなもの。 炎天下の中の作業は想像を絶する。 この2つでした。 新たに遺跡を発掘する必要性がない 「新たに遺跡を発掘する必要性がない」というのは、実際にエジプトに行ってみて初めて実感することができました。 ギザのピラミッドまでは、車ですぐそばまで行くことができます。 車が多すぎて渋滞しているくらいです。 観光客を相手にした売り子もたくさんいました。 砂漠のイメージが強かったピラミッドも、車で簡単に行けるとなると観光客も気軽に訪れることができます。 夏休みには、ヨーロッパの長いバケーションを利用して、お金持ちの欧州人が大量に押し寄せてくるそうです。 「そこに遺跡がある」とわかっていても、新たに遺跡を発掘する必要性がないので、発掘作業は進めないそうです。 発掘作業は大変 それから2つ目の理由、「発掘作業は大変」ということ。 1つ目の理由にあった「発掘する必要性」というものがないので、発掘作業自体がボランティアになってしまいます。 お金にもならないことを、長期間にわたって作業し続けなければいけません。 涼しければもう少し違ってくるでしょうが、夏場はほとんど雨も降らず気温も30度以上(地域によっては40度を越える)の中での作業になります。 ボランティアで遺跡発掘するのもなかなか大変です。 現地エジプト人に聞いた吉村作治の評価 ここでようやく本題に入ります。 日本でエジプトと言えば、そう、吉村作治さん。 もちろんアリさんも、吉村作治さんのことを知っていました。 彼に言わせると、吉村作治さんをこう評価していました。 日本からお金を持ってきて発掘作業をしてくれる人 と。 わざわざ日本からやって来て(作業員も引き連れて)、現地の発掘作業を手伝う人にもお金を払ってくれて、さらには遺跡まで発掘してくれる。 エジプト人が自ら進んで遺跡発掘しない3つ目の理由として、外国人が発掘を進めてくれるからという理由もありました。 勝手にエジプトまでやって来て遺跡を発掘してくれる。 しかも遺跡が珍しいものや価値のあるものであれば、そこが自動的に観光名所にもなるという。 だから、決して現地の人は吉村さんのことを嫌ったりはしていませんでした。 現地の人に迷惑をかけるような強引なやり方はしていないので、嫌う理由は無いようです。 逆にありがたいことだとも言っていました。 吉村さんは情熱をもってエジプトで発掘調査をするために、発掘資金のめどもたっていない大学生時代からエジプトを走り回っていました。 発掘資金の確保に苦労していた辺りの話は、「」というパナソニックのノートPCの紹介ページに少し載っています。 資金を集めて、エジプトの遺跡発掘調査をしたというのは、やはり評価されることだと思います。 おまけ ちなみに、この日の昼食はこんな感じでした。 関連リンク•

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先週台風騒ぎの夜、JR名古屋駅にて転倒し、顔面を強く打ち意識がなくなり、一緒にいた人たちの機転で救急車で病院に運ばれ。 応急処置を施され、ひと晩入院しました。 救急車に乗った(本人は意識がなかったので知らないのですが)のも初めて、入院したのも初めてです。 ひと晩、眼のまわり、額、口まわり、歯、頭と痛くて、とても眠れませんでした。 点滴や病状チェックで2時間おきに看護師の方が見回りに来てくださるのですが、不安で痛くて仕方なかったです。 ほとんど病気はしませんし、過去の病気は通院で済ませていました。 病は気からと考えていましたので、気合いでことを済ませてきましたが、さすが66歳にもなり、大ケガの場合は入院せざるを得ないのです。 そのためアポイントを17もとばしてしまい、多くの方にご迷惑をおかけしてしまったのです。 このことが頭にあり、ケガの瞬間すぐに東京帰ると騒いだそうです。 悲しい性でしょうか。 ケガは人生で2回目です。 35歳のとき、エジプトでミニピラミッド建設というプロジェクト(実験考古学)を行っていたとき、4mのところから落ち、頭を打って気を失ったのです。 ケガは、もちろん脳しんとうですから当然入院ということで市内の病院に入り、ベットで寝ていたとき目が覚めました。 様子がわからず、付き添いの人に聞いたわけですが、これではいかんということで夕方宿舎に戻り、隊員たちに驚かれました。 そして、翌日現場に戻ったところ、エジプト人労働者は私を幽霊だと思ったそうです。 しかし、1日も休まず現場に戻りましたので、エジプト人もうれしく思い、予定通りミニピラミッドは完了しました。 その他にも、乗っていた車が横転したのが3回。 その3回とも、すり傷ひとつできなかったのです。 ケガとは遠い存在だと思っていましたが、やはり歳には勝てません。 でも、ケガをして4日後にエジプトに行く予定がありましたので、キャンセルチャージがもったいないということより、10月12日にはエジプトでの仕事をしなければとの思いで、エジプトに出発しました。 心配してくださっている主治医の方は、飛行機の機内圧が目によくないから行くのをやめるようにとアドバイスしてくださいましたが、やはり行こうと決心しました。 人生はがんばるしかないと思っている愚かな私と思いつつ、やはり行くこととしたのです。

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北の縄文道民会議 Hokkaido Jomon Culture Promotion Council

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僕は子どもの頃から食べ物が大好きでね。 食べるのも作るのも。 父親は友禅師だったんです。 父親が親方で、2人の職人と母親の4人でやっていました。 戦後の貧しい時代でしょう。 食べ物については、母親がいろいろ苦労していました。 乳酸菌と牛乳を使って、カルピスのような飲み物も作ったり。 僕もいろいろと手伝ううちに好きになっていって、台所を任されるようになったんです。 そうめんをゆでたり、うどんを作ったり、カレーを作ったり。 一番得意だったのは、水炊きでした。 そんな感じで両親と職人の食事を作りましたよ、小学生の頃から。 料理にこだわり続けて、調理師の免状まで取ったくらいです。 エジプトに初めて行ったのは、1966年。 23歳の時でした。 街中を漂う匂い 驚いたのは朝方、街に漂うニンニクの匂いですね。 どの家でも朝からニンニクを炒めていて、その匂いがすごいんです。 モロヘイヤという草をニンニクと一緒に炒め、鶏がらのスープに入れて飲むんです。 これがおいしいんですよ。 それだけじゃありません。 タジン鍋で作るトマトのシチューにもニンニクを使うし、鶏の唐揚げなら、すったニンニクに下味として30分くらい漬けてから粉をまぶして揚げます。 ステーキを焼く時もニンニクが一緒。 下宿先のおばさんは料理が上手で、いろいろと教えてもらいました。 おばさんの親戚が街中でレストランをやっていたので、3年くらいその店を手伝いました。 おかげでエジプト料理は80種類は作れますよ。 何を食べてもおいしくって。 そのため36歳で帰国する時には、72キロになってしまいました。 行く時には49キロだったのに。 日本料理を作ってあげて、喜んでもらうことも多かったです。 特に人気だったのは、おでん、天ぷら、すき焼き、煮魚。 おでんといっても練り物がないので、種はあまりないんです。 代わりにいろいろな野菜を入れました。 ですから正しくは、野菜のおでん風煮込みでしたけど。 天ぷらで大喜び 天ぷらを作ると本当に喜ばれましたね。 向こうの人も揚げ物が好きなんですよ。 魚はだいたい揚げて食べるから。 小エビとタマネギでかき揚げを作ると、ものすごく喜んでいました。 すき焼きは、薄く切った肉と割り下の組み合わせが良かったのかなあ。 エジプトでは料理に砂糖を使わないんです。 しょうゆと砂糖の割り下をおいしく感じたんでしょう。 だから煮魚なんて、ものすごく気に入っちゃって。 最初は変な味だと思ったようだけど、食べていくうちに癖になったみたいです。 「ニザカナ、ニザカナ」とリクエストされました。 しょうゆは、日本航空の駐在員からいただきました。 僕は彼らの子どもたちの勉強を見てあげていたんです。 家庭教師をしたおかげで、しょうゆをもらえたわけです。 魚は紅海と地中海で取れるんです。 先週はアレキサンドリア、今週はスエズといった調子で二つの海の港に行き、新鮮な魚を買いました。 僕だけはお刺し身で食べ、みんなの分はフライパンで焼いてあげる。 しょうゆでちょっと焦げ目を付けると喜ばれましたね。 時には15キロくらいの小ぶりのマグロを買いました。 僕は生で、皆にはあぶってたたきにしてあげて。 骨の部分は煮て食べました。 近所の人たちを呼んでの食事会。 料理で文化交流をしたわけです。 (聞き手=菊地武顕) よしむら・さくじ 1943年東京都生まれ。 東日本国際大学学長、早稲田大学名誉教授。 早稲田大学在学中の66年にアジア初のエジプト調査隊を組織し、発掘調査を開始。 74年、ルクソール西岸魚の丘彩色階段の発見で、一躍注目された。 特別講演「古代エジプトからみた地球環境」を日本環境教育機構のサイトで配信中。

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